2025年10月9日 木曜日 曇り
台風22号の影響で風が強い。
13時現在で気温は25℃。
自転車でいつものコースを走る。千代・下曾我・矢作ルート。
途中、風月堂及び勝寿司に寄る。
幼稚園の運動会
千代田圃
千代小のナギ
三嶋神社
銀杏がたくさん落ちていた
旧寺田自転車店
風月堂 赤飯、田植え餅
下曽我駅前
クスノキの下で休憩
芙蓉
今日のハナちゃん
ウオー、ツアー日程
東西の曲乗家
小林作太郎(東京)、岡田芳之助(大阪)
「自轉車」 第9号 快進社
明治34年4月1日発行
平家物語(鬼界が島)より
丹波少将と康頼入道は、もとより熊野信心の人々にておはしければ、「この島の内に、三所権現を勧請し奉つて、帰洛のことを祈り申さばや」といふに、俊寛は、天性不信第一の人にて、これを用ゐず。 二人は同じ心にて、もし熊野に似たる所もやあると、島の内を尋ぬるに、或いは林塘の妙なるあり、紅錦繍のよそほひ品々に、或いは雲嶺のあやしきあり、碧羅綾の色ひとつにあらず。山のけしき、樹の木立に至るまで、ほかよりなほ勝れたり。南を望めば、海漫々として、雲の波、煙の浪深く、北を顧みれば、また山岳の峨峨たるより、百尺の滝水みなぎり落ちたり。滝の音ことに凄まじく、松風神さびたるすまひ、飛滝権現のおはします那智の御山にさも似たりけり。さてこそやがて、そこをば那智の御山とは名づけけれ。この峰は本宮、かれは新宮、これはそんじやうその王子、かの王子など、王子王子の名を申して、康頼入道先達にて、にて、丹波少将あひ具しつつ、日ごとに熊野詣での真似をして、帰洛のことをぞ祈りける。
☆メモ帳より
1968年10月9日 水曜日 曇り
冬の気配を感じる。鎌倉散歩、鎌倉駅から北鎌倉まで歩く。
三留君が市役所に合格、後は面接のみとのこと。
1967年10月9日 月曜日
秋の学級旅行は伊豆半島か昇仙峡。久野先生は昇仙峡を支持。