2024年3月19日(火)曇り
今日もスギ・ヒノキ花粉が多く飛ぶ。
蓑毛方面へ。
オキナグサ
ナギの寺
蓑毛からの眺め
大日堂の仁王門
蓑毛バス停
蓑毛
旧、御師の屋敷でナギを発見
蓑毛で見るのは初めて
Googleストリートビューより
実朝公史跡
大津安五郎と武善右衛門とある
蓑毛の御師、
神奈川県秦野市の蓑毛が、大山の御師の集落としてなりたっていたことは、天保七年十二月の『地誌御調書上帳』にも、一家数八拾壱軒 内師職拾壱軒 神家本職師職兼帯二軒、右師職之儀は大山寺支配二御座候得ども、村方人別之内二て兼役に御座候
などとしるされたとおりであった。京都の聖護院の記録には、この蓑毛の御師にあたるものとして、六ヶ院、三大坊、三太夫というものがあらわれるが、六ヶ院中の円教院とそのほかの一ヶ院とは、今日では まったく何も伝えられておらず、三大坊中の本大坊の二階堂家は東京へ出てしまっており、また若満坊の二階堂家は大山町に移っていったということである。そこで、さきの『開導記』の記事には、六ヶ院中の光宝院の柏木実、密正院の神成主、大正院の新倉充、長福院の武藤春江、三大坊中の大満坊の二階堂大満、三太夫中の藤太夫の相原藤男、仙太夫の相原仙枝、政太夫の根岸一平というように、あわせて八軒・・・
「西郊民俗」160号 西郊民俗談話会 1997年9月発行より