2016年10月16日日曜日

徳本峠(とくごうとうげ)

本日、知人からメールと写真が届きました。

いにしえ人の行き交った徳本峠
何年もの間温め続けていた峠道、人々から忘れ去られその目的を釜トンネルに取って変わられ、今はただ秋の訪れを
いにしえ人達が見た景色を川の流れとともに留めている場所、私は重いザックを背負い汽車に飛び乗った。
今日の宿は岩魚留小屋、小屋の脇にはひと際大きな桂の木があった。過って燦然と登山史に記した人々をこの大木は
見続けてきたのだろう。そして私はその桂の木の下に天幕を張った。
翌朝、雨に濡れ重くなった天幕をザックに詰め次の目的地である徳本小屋へと足を進めた。
小屋は丁度峠の頂にあった。そして突然目の前に白い雲を身体に纏った穂高が顔を見せてくれた。
この2日間はこの感動を手に入れる為にあったのだ。
わたしは天幕を張るとすぐに展望台へと登った。そこには木々の間から一回りも二回りも大きくせりあがった穂高が望めた。
翌朝まだ明けやらない中、今回の山行の第二の目的である霞沢岳へと向かった。
上がっては下がり、また上がっては下がりの繰り返しでまさに霞がかかったような、はるか彼方にそれはあった。
頂上からの展望はまさにここの頂は穂高連峰を見るためにあるのだよと言いたげなそんな山だった。
わたしは天場に戻りすぐに撤収に架かり次の宿である上高地の小梨平に下った。
予定では翌朝、朝靄にけむる上高地を散策して帰路につくはずったが焼岳を思い出した。
この山なら登ってからでも家にその日のうちに帰れると思い、明神小屋の前から家に連絡して帰りが遅くなることを伝えた。
小梨平に着き天場の申込とともに明日の予定を記入そして明日の行動食の買い出し、天幕設営そして6:30までの入浴受付と30分のうちに済まさなくてはならない慌ただしさだった。
身体の汚れと疲れが湯けむりの中に消え、今朝見た景色と感動が心の中に浸み込んできた。
明日も早いぞ!明日も天気にな~れ!
自分では何度も来ている上高地、焼岳への登山道入り口は大体は把握しているつもりでライトの明かりを頼りに
向かった。薄明りの中立派な寺の山門のようなまさに山門がそこにあった。
わたしは20分くらい登ったところで身体が熱くなったので上着を脱ぎルートの確認をした。
なんとこの登山道は西穂高山荘に続くルートだった。
焦る気持ちを抑え、それでも急いで焼岳登山口へと向かった。
わたしはロスした時間を取り戻したくひたすら頂上を目指した。焼岳小屋にたどり着いたのは2:30後、この後核心部に入ると前日のハードスケジュールと今朝のルートミスの疲れが一気に身体に押し寄せ思うように足が前に進まなくなっていた。ここの頂上直下には、ここはまさに活火山であるという息づかいが見て取れた。
そして頂上は霞沢岳にも負けないくらいの穂高連峰の展望があった。
下山道では途中、何人もの、いや20人位かも?欧米人が登ってきた。日本に住まれている方だけではなく新婚旅行にきたというカップルもいた。火山活動をしている山は欧米では珍しいからだろうか?こんなにも欧米人から日本の山が好かれていることを誇らしくも感じた。
そして小梨平に戻りバスセンターから新宿行きの高速バスに乗り帰路についた。(ツトム)

徳本峠から見た前穂高岳方面