○高座山(たかざすやま)へ
1月7日に風邪をひき体調不十分であったが、13日には少し気分も良くなったので、山梨県の高座山(1304m)に登った。
行程、明神峠~三國峠~山中湖~内野~忍野中学校~鳥居地峠~高座山~帰路
ブナの折れた枝が尾根路に一つ転がっていた。その周辺を見たがブナは無かった。風で飛んできたのであろうか?
○あるものはなくなる
大阪でのあるニュース。外出して家に帰ったら、その家が突然倒壊してなくなっていた。報道陣の質問に、所有者のおばあさんは「あるものはなくなる」と平然で答えた。このおばあさん、矢張りただものではなかった。
○三國山東南面のブナ
先日降った雪もだいぶ融け、ブナ林に入ることができた。鳥の巣箱のようなものが地面から1メートル部分の幹に取り付けられていた。どうやら環境調査用のものらしい。周辺にはかなりの数の風倒木が横たわっていた。秋の台風で倒れたものである。ここのブナも危機的状況にある。県道沿いは殆んど立ち枯れしている。
三国山東南面のブナ林
7:00、戸沢の無料駐車場まで車で到着
塔ノ岳から竜ヶ馬場を抜けて丹沢山に登頂
15:00頃には自宅に着きました。
雪は多いところで50cmくらい。
出会った動物は、シカだけでした。
(MZさんからのメール Sent: Saturday, December 28, 2002 10:50 PM)
○桧洞丸 国体で秘境が一変
「ブナの原生林に四時雲霧を呑吐(どんと=のんだり吐いたりすること)し、壮絶峻嶮(しゅんけん)なる谿(たに)と酷烈頑強なるスズの密ヤブに囲繞(いじょう=とりまく)されて、原始の匂いを漂わせる幽寂の境地は、獨(ひと)り丹沢山塊の覇王なるばかりでなく東京付近の山に比類無き存在である」。一九四一(昭和十六)年三月にハイキング・ペンクラブが著した「丹沢山塊」に、桧洞丸(一、六〇〇メートル)はこのように紹介されている。
原始そのままの山といわれた桧洞丸は、当時登山道もなく、私たちのあこがれの山であった。
私は同年十一月、初めてあこがれの山の頂に立った。中央線与瀬駅(現相模湖駅)で下車。まだ相模湖はなく、道志の山里を越えて神ノ川をさかのぼり、一軒家の角田忠治氏宅に宿泊。翌日、神ノ川上流のヒワタ沢をよじり、原生林の頂を踏んだ。下山はユーシンまで桧洞沢をくだり、山神峠(八九〇メートル)を越えて神縄(山北町)というルートだった。玄倉川林道はまだなかった。
昼なお暗いほど林立するブナの巨木、足をうずめる落ち葉、美しい桧洞沢の河床。期待通りの素晴らしい山行だった。
この秘境に一大変化をもたらしたのが、五五(昭和三十)年に開催された国体だった。登山部門が丹沢山塊で実施され、登山者を拒んできた密ヤブが地元山岳会会員らにより切り開かれ、稜(りょう)線に登山道が刻まれた。六一年暮れには、山頂から少し下に青ケ岳山荘が開業している。
同角山稜やツツジコースも整備され、シロヤシオツツジなどが咲き始めるころに行われる山開きは、年々盛大になっていった。山開きは、祠(ほこら)の前に祭壇が設けられ酒が振る舞われるなど山頂で行われていたが、参加者が多く山頂が荒れることもあり、現在は登山口の箒沢西沢出合いで実施されている。
酸性雨・霧の影響といわれているブナの枯死は、秘境を再び一変させた。巨木はばたばたと倒れ、かつてのうっそうとした原生林は、現在しのぶべくもない。植物保護のために登山道も木道となった。昔を知るだけに、明るくなった登山道が、かえって寂しさを感じさせる。
(神奈川新聞「丹沢今昔」より)