2015年6月6日土曜日

ぶなニュース №26

復刻版 ぶなニュース 第26号 2002年10月4日発行

○角取山・アザミ平定点観察
 9月29日日曜日、いつものコースを観察。
 角取山(立山)のブナは所々葉が黄色になっていた。 子供ブナも元気に育っている。笹やスズタケの侵入もなく自然環境は良好に保たれている。兄弟ブナの弟(右側)がだいぶ弱っている様子。縦に2本裂け目が入り、強い風が吹けば完全に裂ける恐れのある状態だ。10月1日の台風で被害がなければよいが。
  畑尾山のブナは日のあたる側の幹が素晴らしい色をしていた。木肌は白く斑点模様(地衣類)が美しい。北側に面する部分は黒っぽい苔が付着し、好対照であった。
  アザミ平では前回のときよりもウメバチソウが多く見られた。今回はリンドウが初顔で、群生はしていないもののたくさん見ることができた。アザミ平は季節によりいつも新しい花が出迎えてくれ、何回訪れても飽きることがない。

○湯船山のイヌブナ
 9月26日木曜日。
  湯船山は明神峠から1時間足らずで登れるので、気の向いたときに登ることにしている場所だ。この周辺はヒノキやスギの人工林が多く、あまり好きではないが、辛うじて尾根づたいに自然林が残っている。幹周り2メートル程のブナも10本以上ある。この日は平日なので誰もいない。唯一湯船山の頂上に二人の中高年女性が昼食をとっていた。 そばに行くのも失礼なので10メートルぐらい離れたところにビニールシートを敷き、こちらも腹ごしらいをした。
  明神山の手前を通過したとき、日当たりのよい場所にヤマカガシが寝そべっていた。冬眠前のひと時をどうやら邪魔したようだ。近づくと急いで藪の中に姿を消してしまった。
  白クラノ頭付近にはイヌブナも多くあるので、普通のブナとイヌブナがいながらにして観察できるので都合がよい。イヌブナの殆んどは株立ちし、木肌は少し黒っぽく苔の付着があまりない。中には1メートル以上の太いイヌブナも見えた。イヌブナはどうしても見劣りするが、精一杯生きている姿を見るとやはり美しい。

白クラノ頭付近のイヌブナ 平成14年9月26日撮影


○ブナが枯れ湧水戻らず
 丹沢山塊の稜線(りょうせん)は、水場が少ない。そんな中、塔ノ岳(一四九一メートル)山頂近くの湧水は貴重である。そこには、水場を守る不動尊がたたずんでいる。不動尊の裏面には、像を納めた先達の歴史が次ぎのように刻まれている。
  「嘉永元申年二月初山、維時明治十四年辛己年四月、登山六十三度、武蔵国多摩郡柚木大沢住、竹内富造建之」。
多摩郡の柚木大沢に住む竹内富造が不動尊を納めたことが分かる。
  丹沢の近代登山の先駆者である武田久吉博士も、以下のように竹内富造に言及している。
  「翁(竹内富造)は、丸東なる講中の先達として、春の峯入りには三十五日間の難行苦行を続けたという。明治四十五年一月、九十歳の高齢で他界する迄(まで)、丹沢三山に信仰を集めたことは、稀(まれ)に見る篤志の人である」
  山村民俗の会の「あしなか」昭和二十九年七月号に坂本光雄氏が書いた「塔ノ岳孫仏記」によれば、孫仏(尊仏)さんの信仰が盛んであったのは明治の末頃までで、相州一円から武州へかけて信者を擁し、非常に崇信された。賽路もそれぞれあって、大倉集落(現秦野市)からの大倉尾根が南口だった。現在の山北町の玄倉川上流の箒杉沢から金沢をさかのぼり、不動の水場に出るのは西口といえた。
  連載第一回で紹介したが、明治二十五(一八九二)年の大日本帝国陸地測量部「塔嶽」二万分の一の地図には、等高線を巻くように不動の水場を通り尊仏岩に到る道が記されている。かつての行者たちは、この水場で身を清めて尊仏さんにお参りしたのであろう。
  不動の湧水については、大正八(一九一九)年の「山岳・丹沢山塊」に「(塔ノ岳の)頂上から四五丁熊木側によった所で苔(こけ)清水が樋(とい)を通して落ちている。(案内人の)甚蔵は「孫仏様の御籠場(おこもりば)」と云っていたが、成る程傍(かたわら)に倒壊した小舎らしきものがあった」と記されている。
  昭和三十(一九五五)年に国体の登山競技が丹沢で開かれ、尊仏山荘で使用する水は不動の清水で十分にまかなえた。しかし、ブナ林が枯れ、塔ノ岳山頂付近が荒廃するにつれて、水量は細々としみ出る程度になってしまった。山荘では、水の確保が大きな問題となってしまった。
  最近になって山頂が大改修され、石組みになって雨水が地下に浸透するようになり、水場も改修されたが、かつての豊かな湧水はもう戻らない。不動の清水は、ブナの大切さ、自然の大切さを語っている。

 (連載 丹沢今昔第41号)水場の不動尊

 著者:おくの・ゆきみち 大正10年生まれ。戦前から丹沢を歩き続け、丹沢ガイドブック、「丹沢山塊」などを執筆。丹沢への活動で環境庁長官賞、横浜市体育功労賞を受賞。川崎市川崎区。横浜山岳会会員。
 <神奈川新聞より>