○月見丘上部のブナ
山中湖別荘地内のブナについては、この「ぶなニュース」でも何回か紹介しているが、今日(11月9日)は更に360センチのブナを月見丘右上部で見つけた。S山荘と表札が出ている敷地境界線の左側で、近づいて見ると4メートルもあろう大きさだ。早速巻尺をリュックから取り出し計測。残念ながら4メートルはなかったが実測で360センチある。まずまずの大きさだ。
位置と大きさをメモ用紙に記入し、デジタルカメラで撮影。この付近には他に2メートル以上のブナが多数存在する。以前紹介した380センチのブナもこのエリアに近い。恐らく別荘が出来る前に多数のブナが存在したと思われる。何本かの大ブナは別荘・保養所建設により伐採されたのであろう。
この日は良いブナが多かったのと子供ブナが多数自生していたので、獣道?を更に大洞山方面に向かって登る。途中道に迷う恐れもあったので慎重に周囲の景色を確認しながら進む。3ヶ所にピンク色のビニールテープが枝から下がっていたので、それを目印とした。猪以外通りそうにない微かな道(落ち葉で殆んど道筋がわからなくなっている)であるが、これは人間が最近入った証拠でもある。既に時間も4時50分をまわり、これ以上進むのは危険と判断し、退却した。
幹回り360センチのブナ 平成14年11月9日撮影
黄金に輝くブナ 平成14年11月9日撮影
11月10日、カナダから同好の士が訪ねてきた。彼は日本語は出来ないが、中国語と英語は出来る。小生はなんとか日本語が出来るが、英語は殆んど聞き取ることが出来ない。同じ趣味なので質問の想定は出来たのだが、細かい部分になると「後でEメールで回答」ということになる。
彼(シンガポール出身)は英語を三年間で覚えたと言う。こちらは10年以上英語を勉強したはずなのに会話にならない。本当に日本の英語教育はダメだ(自分がダメなだけ)。何のために英語を習うのか?それは英語を介しての意思疎通である。これからは何はともあれ英会話をマスターしなければいけない。英語の出来ない人間は国際人と認められず。ある面でそれは健常者ではない。(ちょっと言い過ぎ)日産もゴーン社長に代わり、社内通用語は基本的に英語になったようだが、これからはますますこのような企業が多くなるであろう。日本語オンリーの企業は生き残ることさえできなくなるに違いない。
さー今日から英語だ!
寝床で昔買ったテープを聞きだしたが、5分で寝てしまった。
○白神山地は東の横綱、綾の森は西の横綱
「綾の照葉樹林」を世界遺産に!
■「綾の照葉樹林」とは
●わが国最大の面積
宮崎県綾町の標高1,109mの大森岳南東稜に広がる原生的照葉樹林。まとまった中心部の面積は約1,700ヘクタールで、わが国の照葉樹林の中で最大の面積を誇る。周辺部にも部分的に照葉樹林と二次的照葉樹林が広く残り、「綾の照葉樹林」を形成している。
●最大90種もの豊かな森の植生
シイ類、カシ類のほか、タブノキ、イスノキなどが優占しているが、林内には多様な植物が生育。種類は平均60種、最大で90種を数えるほど種の多様性に富んでいる。
●クマタカも舞う豊かな森
動物では「種の保存法」により保護が求められている希少種のクマタカ、イヌワシをはじめ、ニホンカモシカ(綾は生息地南限)、サル、イノシシ、ムササビ、ヤマネなどが生息し、鳥類ではアカショウビン、サンコウチョウ、フクロウ、オオルリ、オシドリ、ヤマセミなど多種類にわたる。(「九州のニホンカモシカ」は、遺伝的に特徴ある個体群として保護管理が必要とされている。)
●感動と安らぎの素晴らしい景観
「綾の照葉樹林」で特徴的なのは優れた景観である。綾南川の大森岳南東稜に連続する樹林を対岸から立体的に眺望できる景観は、人々に感動と安らぎを与える。とくに3月から5月にかけての照葉樹の開花期は「綾の照葉樹林」の秀逸の美観である。
■照葉樹林とは
●ヒマラヤから日本へ連なる
照葉樹林とは、ヒマラヤの中腹あたりから東へ、ネパール、ブータン、アッサムの一部を通り、東南アジア北部山地、雲南、貴州高地、長江流域、朝鮮半島南部を経て、西南日本に至る東アジアの温暖帯に沿って分布する常緑広葉樹林のことである。わが国では九州西部から秋田県海岸部、岩手県南部を北限とする地域に分布している。
●日本の森はブナ林と照葉樹林
東日本を中心に広く分布するブナ林は冷温帯の落葉広葉樹で、年平均6~13℃の地域に生育し、北限は北海道渡島(おしま)半島、南限は南九州である。世界遺産に登録された白神山地のブナ林はその代表である。一方、照葉樹林は年平均13~21℃の地域に生育し、西日本を中心に広く分布し、「綾の照葉樹林」はその代表である。白神山地を東の横綱とすれば、「綾の照葉樹林」は西の横綱である。
●共通する文化的要素
東アジアに連続する照葉樹林帯には、共通する文化要素が数多く継承されており、1966年中尾佐助氏によって「照葉樹林文化」と命名された。その文化的要素の中ではとくに、アワ、ソバ、餅、オコワ、甘酒、茶、納豆、コンニャクなど、食文化に関するものが私たちの生活に継承され親しまれている。照葉樹林は日本人の基層文化の一つを育んできたのである。
■綾町と照葉樹林
●伐採の危機から守られた森
「綾の照葉樹林」の中核をなす約1,700ヘクタールは、前町長郷田實氏が先頭に立ち、町民の力を結集し国の伐採計画に抗した結果、1966年に残されることになった。郷田町長はその後、照葉樹林を町づくりの基盤に自然と共生する町政を果敢に実施した。
●かけがえのないふるさとの風景
現在、綾町には県内外から年間100万人を超す人々が訪れる。その要因の一つは、照葉樹林を背景にした綾町の自然風景にある。その風景は、失われたふるさとの原風景と二重写しになり訪れた人々を引きつける。綾町の自然風景は「綾の照葉樹林」と一体のものとして大事に残していかなければならない。
●評価される綾の自然環境
・「九州中央山地国定公園」環境庁長官
・「21世紀に残したい日本の自然百選」森林文化協会
・「森林浴の森100選」緑の文明学会
・「あおぞらのまち40選」環境庁
・「水源の森100選」林野庁
・「日本名水百選」環境庁
・「水の郷100選」国土
出典:
^ 綾の照葉樹林 - 水源の森百選 -林野庁
^ 綾渓谷の照葉樹林 - 森林文化協会 朝日新聞など。