2015年6月12日金曜日

ぶなニュース №28

復刻版 ぶなニュース 第28号 2002年11月6日発行

○三國山・ヅナ峠巡回観察
  11月4日、風は強かったが天気は快晴。富士山は頭に白い綿帽子をかぶっている。三國山の稜線も秋に染まっている。鉄砲木ノ頭は風が強く冷たい。頂上の祠を風除けにして小休止。ススキの種が強い風に乗り上空に飛んで行く。種が顔にもあたり、耳の中に入る感じがしたので、思わず両手で耳を被う。寒いので10分ほどして三國峠に下る。誰かがススキを刈ったとみえ、歩きやすい。
  三國峠では土建業者が崩れた法面のコンクリート吹き付け工事をしている。確かこの法面に良いブナが1本あったのだが、伐採されたようだ。本当にこのような吹き付け工事が必要なのだろうか?
 林道のいたるところにベタベタとコンクリートをはりつけ、景観を悪くしている。そのうちまた大雨でも降れば崩れるのが目に見えているのだが。これも無駄な工事で、不況対策か?
  三國峠から三國山までの山道はいたるところに枝道が出来、ブナの根元を踏み固めている。本道と思われる道は倒木で至るところで塞がり、そこから迂回の枝道が出来てしまう。将来ここの斜面のブナは根元が更に浮き上がり少しの風でも倒れるだろう。
  三國山の頂上には7人ほどの中高年登山者がいた。(失礼、その中に若い女性が二人混じっていた。)
  まだ、11時半なので10分ほどの小休止で先を急ぐ。別に急ぐことではないが。
  ヅナ峠までの中間地点はブナの倒木が多く、中には太さ1メートル以上の中ブナも倒れていた。まだ葉は生きていた。やはり先の台風で倒れたようだ。ヅナ峠から右に折れ、山中湖に下る。途中のブナはどれも黄金色に輝き、楓の朱色と競い合っていた。(人間のように競い合っているわけではない。)ありのままの自分を自然に演出しているだけだ。410センチのブナはこのニュースの27号で大枝が折れたことを紹介したが、見たところまだまだ元気だ。しかし、体内は空洞化が進んでいる。どうか長生きして欲しい。(約400歳、もう十分長生きだが)

黄金に輝くブナ、三國山にて 平成14年11月4日撮影

ブナの倒木。三國山西側尾根 平成14年11月4日撮影

ヅナ峠北側斜面のブナ林 平成14年11月4日撮影


○人間は強さではない
 僕は団塊の世代で、人一倍負けず嫌いだった。だけど、競争がばかばかしくなりましてね。お金を使わない社会は、競争ではなく、共有の社会。食べ物や必要なものはみなのもので、個人で蓄えたりはしない。精神的な上下関係もないし、互いをランクづけたりもしない。僕達の社会とは全然違うんです。ある時、「生きている上で、やさしさと強さのどちらが大切ですか?」と南米の先住民に聞いてみました。僕は、強さだと思った。すると、「大切なのは、困っている人がいたら助けるやさしさだ。強さなんて生きていくのに何もならない」と。

 探検家 関野吉晴さんの話


○安物買いの銭失い
 昔の人はえらかった。ものの道理が分かっていた。自然も分かっていた。
  現代人はどうだろう。百円ショップでガラクタを買い。安い自転車を買い、直ぐにパンクして粗大ゴミ。自然の地形に逆らって道路を作り、土砂崩れで危険を知る。よく調べたらその道路がごまかしの手抜き工事。ほんとうにこれでよいのであろうか?企業は金儲けだけに奔走し、業績が悪くなれば首を切る。自分さえ良ければ、他人はどうなろうとお構いなし。恨み辛みだけが残る。
  昔の人は慈悲と寛容と諦めがあった。これは現代人が忘れてしまった言葉である。
(変人生)