2020年8月15日土曜日

白馬岳

 知人から紀行文が届きました。

2020 白馬岳
人には青春と呼べる時期がある。
かっての私にもその時期があったのだろう。
いつの間にか通り過ぎてしまった人生の中の輝かしい時が、時としてふとフラッシュバックの様に、自分の中に表れることがある。
それは夏山が私にくれる青春という時間だ。
今年もその時がやって来た。
一昨年完歩出来なかったルートを昨年もう一度頑張ってみようと立山から新穂高温泉へ下った。
その時、既に今年の計画は出来上がっていた。
そうだ21年前に雨に打たれて疲れ切ってしまい、目の前の針の木岳へ行けなかったあの続きを成し遂げようと。
しかし今年は登山道が崩落、針ノ木小屋は閉鎖、初日の天場は閉鎖、自分の体調や天候を考えているうちに天場の予約さえ儘ならず白馬頂上小屋と天狗山荘の予約を取り後は直談判と決め込み扇沢へ下山しようと家を発った。

初日は白馬グリーンスポーツの森キャンプ場に天幕を張り、家族づれの中、場違いの様だった。
白馬駅から猿倉への1番バスに乗り登山の第一歩を踏み出した。
猿倉登山口を発ち白馬尻へと向かう。
前日はここで天泊予定だったが今年は閉鎖されていた。
真夏だというのにここだけは涼しい風が雪渓を伝わり時折私の顔を通り過ぎてゆき登山道脇に咲く華麗な触れば壊れてしまいそうな乙女の心の様な花びらのハクサンフウロや丸ブラシの様なウルップソウなど高山植物が、歯を食いしばり登る私の心ををほころばしてくれていた。
そして遂に今日の目的地である白馬山荘小屋へとたどり着いた。
丁度天場の隣にいた二人連れの登山者にこれから向かう登山道の情報を聴いているうちに、そして明日の天気が崩れることを考えているうちに心が折れてきてしまった。
4日分もの食料をザックに仕舞ったまま、翌日雨の中、急遽予定を変更して白馬岳山頂から三国境へと向かう頃になると雨もだいぶ収まり私自身の落ち込んだ気持ちも収まり、いつもの楽しい登山に変わっていた。
足元に赤い小さなビー玉を散らかした様なイブキジャコウソウが咲いていた。
以前娘に丁度この辺りで見つけ、いい匂いがするから嗅いでみたらと教えたら、腰をかがめ顔を近づけたが匂わなかったと言っていた。
後で知ったが葉をこすると匂い立つそうだ。早速私は何枚かの葉を擦ったらいい香りを放った。それが花の名前の由来である麝香の香りかどうかはわからないが確かに心穏やかな気持ちをさせる匂いだった。
その匂の甲斐があり、また雨も上がり、いい足取りで三国境から小蓮華山に向かった。
小蓮華山頂では雲に阻まれ展望が無い中、数人の登山者が休憩をしていた。そしてほんの一時の間に青い空と白い雲そして緑の山々と今しがた歩いてきた稜線を私たちの前にこれこそが白馬だよと言わんばかりに見せ場を作ってくれたのだった。
そしてまた私は白馬池小屋へと足を進めた。
今日はここでと決めていた。
だいぶ白馬池に近づ着た頃だろうか、足元に白い可愛い花びらを既に落として綿毛になった稚児車の群生が私に今年の夏は短かったねとつぶやいた。
思わす私は頷いてしまった。
あまりにも短すぎた私の青春の輝きだったからだ。
白馬池の天場には静かな時が流れていた。
一時予定ではここが今日の目的地であったが時間はまだ蓮華温泉へ行けるだけのゆとりがある。
そして腰を上げ最後の気力をを振り絞り蓮華温泉へとたどり着いた。
そして10分もの距離の天場で天幕を張り、夕食を食べ、露天風呂へと向かう。
小屋から露天風呂迄の距離は登りの15分、天場から25分もの距離にある。
小屋からほんの少し登った所で立ち止まり内風呂にしようか?暫く迷っていたところに同じ天場の若人が一人登って行ったのをみて私も彼と話しながら露天風呂へと向かった。
そこは硫黄の臭いと白い荒涼とした景色に幾筋もの噴煙が空に向かい登っていた。
湯は熱くもなく温くも無く絶妙な湯加減で身体を沈めると身体もぷかり心もぷかり、湯気とともに疲れがダケカンバの中に吸い取られてゆくようだった。
暫くすると何人もの登山者が上がってきた。
そして小屋でビールを買い若者と今日の露天風呂に乾杯をして天幕の中で草の香りを嗅ぎながら深い眠りに落ちていった。
ある詩人がこの様な詩を書いている。
一部掲載
人は信念と供に若く 疑惑とともに老ゆる 人は自信と共に若く 恐怖と共に老ゆる
まさに今回の山行は信念が無くなり 自身が無くなり 雨と言う恐怖が心を支配してしまっていた。
少し言い訳が有るとすれば雲間に時折見せる太陽の輝きと汗が私の今年のあまりにも短い青春の最後の輝きのような気がしていた。(つとむ)

大雪渓
2020年8月10日~13日 TSさん撮影(以下同じ)

白馬岳

小蓮華山

白馬大池

蓮華温泉